写真の善し悪しなんてモノは、ない。
こんばんは、神崎です。
今日のテーマは「写真とは」。
うわ、広いの来たわ。もう、この段階で自分でも風呂敷広げすぎて収集つかねえわ、って思います3行目だけど。
いやね、仮にもプロフォトグラファーです、って名乗ると色々考えちゃうんですよ。いい写真撮らなきゃとか。
でもここでいう「いい写真」てなんなんでしょうね?
SNSで拡散されるようなやつでしょうか? ーうん、それもいいでしょう。
とりあえずなんかキレイなやつ? ーうん、それでもいい。
めっちゃ面白い表情してる!ブレてるけど。 ーおお、いいじゃないですかぁ。
なんとなく撮ってみただけで、微妙。 ーでもアナタがその時そこに居たから撮れたんですよね、それはそれでいいでしょう!
あれ?これなんも写ってない?あ、うちの子がイタズラしてシャッター押したのか! ーいい思い出になるから消さないで!
てなかんじで。もう最後とか画像としては何一つ写ってなかったとしても、それもこれも「いい写真」なんじゃないでしょうかね?
「写真」は非常に多面的な存在だと思います。
しかしその中でも多くの面に共通する事項として、「時」が挙げられるのではないでしょうか。
僕は時間の積み重ねが感動を生むと思っています。この世界で「時」とは縦横奥行きの次に発生する根底要素であり、非常に強力です。
ですから「時」を要素に強く持つ「写真」とは、その行為からして既にパワーがある、とは言えないでしょうかね。
・・・あーーー拡がりすぎたわ・・・いいんですけどね、こういう抽象論をもっとダラダラ語るのも一つかもです。が、僕は大概途中で自分でも何がいいたいのかわからなくなるタイプなのでここらでハナシを戻します。
つまりですよ、結論にぶっとびますと写真撮る時に評価なんか気にすんな、ってことです。
めっっっちゃ自分に言ってます。
プロとして「いい写真」てのは明白で、平たく言うと「クライアントの意向に添えたか」に尽きます。その上に、あくまでその上に各人のテイストややりたいことが乗っかって、その先の更なる良さになるわけですが。
その+αで充分なトコロを先に持ってきちゃいがちなんですよね、ついつい、、「クライアントの意向に添う」って段階で結構なことで余裕なんかしばらくない筈なんですけどね。
そうして自信がなくなって更についつい、SNSに趣味で撮った作品とも呼べないような「習作」をアップして、あわやくばバズらないかななんて期待して、結果により打ち拉がれるわけです。
SNS映えの法則だってそりゃある程度知っているのに、そこは実践せずバズらないかな、なんて一枚だけ買った宝くじが当たらないかなって結構本気で期待しちゃうのと同じようなしょうもない状態に陥るんです。
結果こうして、いい写真の定義みたいな事を考え直してようやくほんの少し落ち着く、という誠にしょうもないハナシによって、事態は終息するのですが、もしかするとこの時点で前半のそれっぽい口上に期待された方の逆鱗に触れてしまっているかもしれず、大変申し訳なく思う次第でございます。思うだけですが。
え?おわり!?
はい、終わりです、おやすみなさい。
p.s.「いい写真」についてはまたそのうち、ちゃんと書けたらいいなあ